大西宇宙飛行士 Instagram連載「宇宙からの帰還」
大西卓哉宇宙飛行士は、国際宇宙ステーション(ISS)からの帰還を、自身の言葉で綴った連載「宇宙からの帰還」(全5回)として、Instagramで発信しています。
ISSでの任務を終え、再び重力のある地球へ。
大西宇宙飛行士が自身の言葉で綴ったリアルな体験の記録を、本記事ではまとめて掲載します。
宇宙からの帰還①
記憶が薄まる前に、ISSから帰還したときのことを、徒然なるままに書き記しておこうと思います。
私たちがISSを離れたのは8月8日ですが、実はこの日の離脱(アンドッキング)は天候の条件で難しそうと当初言われていました。既に2度、悪天候予想のため離脱が延期されており、この日もまあ難しいだろう、そういう空気のなかで8月8日を迎えました。
宇宙機の帰還に関わる軌道力学というのは不思議なもので、離脱するタイミングによって、ISSを離れてから着水するまでの時間もマチマチです。
例えば、私たちが一番最初に離脱する予定だった8月6日の場合は、この時間は約6時間でした。これはかなり短い方で、私たちは喜んだものです。衣食住に関しては、やはり小さな宇宙船よりもISSの方が遥かに快適なので、宇宙船の中で過ごす時間が短い方が基本的にはありがたいのです。例えば食事にしても、ISSでは温かい食事を食べられますが、宇宙船では加熱する設備がないので、食べられるものも限られてきます。一番心配なのは、トイレです(笑)小はともかく、あの狭い宇宙船の中で大をするのはかなり気が引けます。不可能ではありませんが、やはりしないで済むに越したことはありません。そういうわけで、私の関心事はもっぱら、「何日に帰れるか」ということよりも「何時間かかるか」ということにありました。
実際は8月6日の離脱は延期され、次の7日になるとこの時間は一気に24時間になりました。6時間と24時間では、天と地です。これはかなりショックでした。とは言ってもどうしようもないことなので、延期になった分の時間を満喫することに決め、油井さんと広報用の動画を撮影したり、時間が足りずに諦めていた引継ぎなどを実施することができたのは良かったです。
既に書いたように、最終的にはもう1日延期されることになり、新たなターゲットは8月8日、着水までの時間は約17時間となりました。悪くない時間です。
離脱当日も、宇宙船に乗り込む前の最終準備作業が始まる直前のタイミングで、もう一度天候判断を行うことになっていました。ISS時間の22時という遅めのアンドッキング時刻に合わせ、起床時刻も12時になっていましたが、私はもっと早くに目を覚ましました。別に緊張していたわけではなく、アンドッキングして一段落したらすぐに宇宙船の中で寝られるように、自分が寝たい時間から逆算して早めに起きたという感じです。
いざアンドッキングすることになった場合に備えて、寝袋や私物なども可能な限り、でも再度延期になっても困らない程度にまとめておいて、Crew-11クルーの作業を手伝ったりしながら、ゆっくりと時間を過ごしました。
そうこうしているうちに最後の天候判断のタイミングが来て、結果はGO判断。直前まで半信半疑でしたが、(今日帰るのか!)ということが確定し、そこから一気に出発の最終準備が始まりました。
様々な医学研究にとって、検体採りは最も重要な作業ですが、帰還直前のいわば一番鮮度の良い検体はなかでも大事なサンプルになります。私も唾液と血液の検体を採りました。今回の長期滞在での、最後に採血になります。一発で綺麗に採れました。この5か月間で、採血が苦手だった私もすっかり上達しました。たぶん・・・。
検体採りが終わると、荷物の整理です。立つ鳥跡を濁さずですので、あとに残るクルーに迷惑をかけないように、自分の物は全て廃棄用のゴミ袋に入れるか、地球に持ち帰る荷物に入れる必要があります。私の場合は、余ってしまった衣類やインナーを外した寝袋などは、油井さんが使えるように託してきました。油井さんの身の回り品は、いくつかまだISSに届いていない物もあったので、ちょうど良かったです。余った個人用の宇宙日本食や、カプチーノなどの嗜好品もぜんぶ、油井さんやジョニーにあげてきました。
そういった身辺整理が終わると、あとは宇宙船用の下着への着替えなど、本当に直前の準備だけになるので、それまでの時間がISSや仲間と最後のお別れをする時間になります。キューポラからの最後の景色をしばし堪能しました。ISSもこれで見納めかと、別れを惜しむような気持ちと、帰還に向けた独特の緊張感や高揚感などがない交ぜになった、複雑な心境になりました。何より、4か月近く一緒に過ごしたジョニーを始めとするソユーズ73Sクルーとの別れの時も近づいています。
一旦宇宙船に乗り込むと、アンドッキングして30分くらい経つまでトイレは使えないので、念のためオムツを着用して、その上に与圧スーツ用の下着を着用します。いよいよハッチクローズの時刻が近づき、万感の思いで残りのクルーひとりひとりとハグを交わして、最後に11人みんなでNode2で記念写真を撮りました。このうちの何人かはまた宇宙に戻ってくるでしょうが、この11人で同じ時を宇宙で過ごすのはこれが最後になるでしょう。不思議な縁でここに居合わせた11人です。
ドラゴン宇宙船に乗り込み、先に与圧スーツを着用したコマンダーのアンとパイロットのニコルがシートに納まるなか、キリルと私でキャビンの準備を進め、ISS側の作業を担当するジョニーと最後にもう1度、「地上で会おう!」と固い握手を交わし、私がドラゴン宇宙船側のハッチを閉めました。

宇宙からの帰還②
有人、無人に関わらずどの宇宙機でもそうなのですが、ハッチを閉めてすぐにアンドッキング、というわけにはいきません。
安全にアンドッキングするためには、いくつかのステップを踏んでいく必要があります。
私がドラゴン宇宙船側のハッチを閉めたのに対して、ジョニーがISS側のハッチを閉めます。そのあと、2枚のハッチの間に挟まれた空間の空気を抜いて、真空に近い状態にしてやる必要があります。更にその過程で、2枚のハッチがしっかりと気密性を保てているかどうかのチェックもしなければなりません。これをリークチェックと言います。
リークチェックは、宇宙分野では非常によく出てくる言葉で、ハッチにしろ、私たちが着る与圧スーツにしろ、圧力差をかけた状態で所定の気密性を保持しているかを確認する重要な作業です。
ISSとドラゴン宇宙船の間でそういった準備が行われる間に、私たちクルーも準備を済ませなければいけません。キリルと私は、船内の荷物を全て所定の位置に収納して固縛したあと、与圧スーツを着用します。この与圧スーツというのは、宇宙船が万が一空気漏れを起こしたときに、私たちの生命を維持してくれる大事な役割を担っています。
そうして私たちも自分のシートに着席したら、先述のリークチェックを与圧スーツに対して行います。
これらの一連の作業を、慎重に時間をかけて行うので、ハッチを閉めてから実際のアンドッキングまでは、1時間半はゆうにかかります。
私たちの準備が整ってからアンドッキングまではかなり時間があったので、シートのなかでしばらくボーっとしていました。ドラゴン宇宙船はまだ物理的にISSと繋がっていますが、ついさっきまで一緒にいたISSクルーと私たちの間を、今は真空の壁が隔てています。近くて遠い、それは何とも言えない、不思議な感覚でした。
ISSとドラゴン宇宙船の間のリークチェックが終わり、ターゲットの時刻がやってきました。ドラゴン宇宙船のアンドッキングは全自動で行われるので、私たちクルーはシステムが正常に作動しているのを監視するだけです。ISSとの間の電気的な接続や通信ラインが切り離され、機械的な接続が全て外れるまで、更に数分かかります。
やがてふわりと宇宙船がISSから離れはじめ、それから少し距離を取ったところで宇宙船のスラスターが噴射され、一気に距離が開きはじめました。
ISSと安全な距離を確保して衝突の危険がなくなると、私たちは与圧スーツを脱いでくつろぐことができます。でもISSを外から肉眼で見る貴重な機会とあって、シートから飛び出したあとも誰一人スーツを脱ごうともせず、2つある窓に張り付いて外をしばらく見つめていました。約145日を過ごしたISSが、目の前にリアルな質感を伴って浮かんでいます。私の大好きなきぼうも、船外プラットフォームも、すぐそこにありました。もうここに戻ってくることはないだろうな、そんなことを思いながら、私は少しずつ小さくなっていくISSを自分の目に焼き付けようと、ずっと見ていました。
ISSはしばらくの間、窓からずっと見えていました。なので、私たちは与圧スーツをお互いに助け合いながら脱いでパジャマに着替えたあとも、遅めの晩御飯を食べている間も、窓から外を見ていました。ちなみに晩御飯は温めずに食べられるものばかりで、私はツナやフルーツを食べました。
正確に時刻を覚えていませんが、消灯して寝る態勢に入ったのは、ISS時間でゆうに24時を過ぎて1時近かったと思います。船内は割と冷えるので、各自寝袋を引っ張り出してその中で寝ました。宇宙船は約90分で地球を一周するので、私たちが寝ていようとお構いなしに太陽が何度も昇ってくるので、窓にサンシェードを付けるのも忘れてはいけません。更にアイマスクを付ければ完璧です。起床してからかなり時間が経っていたこともあり、疲れていたのかすぐに私は深い眠りに落ちていきました。

宇宙からの帰還③
『一夜』が明けて、地球に帰還する8月9日になりました。
途中一度くらいトイレで起きるかなと思っていたのですが、思いのほかぐっすり眠れて、4人で相談して決めておいた起床時刻まで寝れました。
着水した後の波酔いで吐いてしまうのが怖かったので、朝食はほんの少しだけ食べました。
・・・そうなのです。
前回のソユーズ宇宙船と違って、ドラゴン宇宙船での帰還は、着水したあとに波に揺られるという大きな不安要素があるのです。帰還後はただでさえ気持ち悪くなりやすいので、そこに波の揺れが加わると考えただけで絶望的な感じがします(;゚;艸;゚;)
というわけで、もし吐いても大惨事にならないように、胃の中にあまり物を入れない作戦を取ることにしました。
帰還に向けては、寝袋やらパジャマなどの片付け、加圧下着や与圧スーツの着用などの準備があるのですが、それらの作業を開始するまでにはまだ少し時間がありました。その時間、自然とみんな無口になって、ひとりひとり、自分の世界に入っていたのは、とても印象的でした。ある者は窓から地球の景色に見入ったり、私は宇宙船の床側で体を伸ばしてプカプカ浮いて、無重力の感覚を味わいながら、それぞれが自分の中で宇宙飛行の終わりが近づいていることへの気持ちの整理を付けているように思いました。
着水前の大事な準備の一つとして、以前ご紹介したFluid loadingという手法があります。これは重力で体液が下半身に下がることによって貧血の症状や、ひどいときには意識を喪う恐れがあるため、事前に水分を沢山採っておいて体液量をなるべく増やしておこうというものです。体重によって飲む水の量も変わってきますが、私の体重の場合、1リットルの水を飲むことになっています。さらに、体への吸収を良くするために、塩タブレットも一緒に飲みます。20分に250mlずつ飲んでいくので、1リットル飲むだけで80分かかる計算になります。
Fluid loadingを行いつつ、最後のトイレを済ませ、パジャマから加圧下着や与圧スーツに着替え、船内の最終的な梱包を行っていきました。(これが宇宙でトイレを使う最後になるかもしれないな・・・)などと、そんなことにすら感傷的になっている自分に気づき、なんだか可笑しくなりました。
物をしっかりと収納したり、固縛したりするのは宇宙機ではとても重要な作業です。大気圏突入やパラシュート展開のときに機体に大きなGや揺れが加わるので、しっかりと固縛していないと物が飛んでしまい、ケガや機械の損傷につながる恐れがあります。
そうして身の回りの準備を整え、各自シートに着席し、与圧スーツのリークチェックを終えると、あとは着水までシートから出ることはありません。宇宙船の高度を下げるための軌道離脱噴射が始まるまでの約1時間、雑談をしたり、物思いに耽りながら待ちます。
宇宙船は秒速約8キロメートルという猛スピードで地球の周りを飛んでいるのですが、地球に帰還するためにはそのスピードを落としてやる必要があります。そのためにスラスターを噴射して減速することを、Deorbit burn(軌道離脱噴射)と言います。と言っても何も急ブレーキをかける必要はなく、ほんの少し、1.5%程度スピードを落としてやるだけで良いのです。たったそれだけの減速で、宇宙船はもう軌道上に留まっていられるだけのエネルギーを失い、宇宙船は地球に落ちていきます。
もう少し正確に書くと、その減速によって宇宙船の高度が大気圏まで下がって、あとは大気に捕らわれて一気に減速していきます。
軌道離脱噴射が始まったのは、着水予定時刻の1時間ほど前です。スラスターが一生懸命噴射するたびに、ゴンッ、ゴンッという音が船内に響きます。予定通りの減速を行えるかどうかが、地球に安全に帰還するための大きなマイルストーンになるので、私たちもディスプレイでその噴射の経過を固唾をのんで見守ります。
ターゲットの速度との差分表示がどんどん小さくなっていき、やがてゼロになり、船内には急に静寂が戻ってきました。軌道離脱噴射が予定通り終わったのです。まずは第一関門突破です。
そこから着水までは、まだ40分近くあります。
軌道力学の面白いところは、減速をしたからと言ってすぐに高度が下がるわけではなく、そこから更に地球の周りを半周したところの高度が一番低くなるようになっています。例えば日本の上空で減速をしたとすると、地球の裏側のブラジルの上空まで来たときに高度が一番低くなります。なので、大気圏に突入するにはまだ地球を半周回する必要があるわけです。
350、300、250、200km・・・と、徐々に高度が下がってくるにつれて、窓の外に見える地表も段々と近くなってきます。そして近くなった分、地表の景色が流れ去っていくスピードも速くなっていきます。高度400kmから見る地表のゆっくりとしたスピードに慣れてしまっていたので、今更のように宇宙船が猛スピードで飛んでいることを実感して、少し背筋がゾクッとします。
地球に帰るための第二の関門、大気圏突入が近づいてきました。

宇宙からの帰還④
宇宙船は秒速約8キロメートルという猛スピードで、大気圏に突入してきます。その際、前方の空気を押しつぶしていくため、圧縮された空気が高温になり、宇宙船は数千度という熱に晒され、文字通り火の玉状態になって帰ってきます。
宇宙空間での慣性飛行中は、秒速8キロメートルと言っても、飛行機のように大気の中を飛行しているわけでもないので揺れもなく、宇宙船のなかはいたって静かで快適です。
私たちの乗る宇宙船も、高度100kmくらいまではそれまでと何の変わりもなく降りてきました。
私はディスプレイの加速度センサーの表示をずっと見ていましたが、それまで0Gを指していた表示が、0.01Gを示しました。まだ体感できるような加速度はかかっていませんが、重力の世界に戻ってこようとしているのを感じます。
それからほどなくして体にグーっと加速度がかかりはじめるのを感じて、体がシートへと押さえつけられていきます。結構体が重くなってきたなと思い始めた頃、パイロットのニコルが「0.1G」と読み上げました。まだ地上の重力の10分の1です。「マジカヨ」と言って、みんなで笑いました。約5か月間、無重力の世界で過ごしてきたわけですから、無理もありません。
いつのまにか宇宙船自体も揺れ始めています。宇宙船にも大きな空力がかかり始めているのでしょう。突入時には窓から綺麗なプラズマの火花が見えると聞いていたので、私は重いGがかかってくるなか、視線を足元の窓の方に何度か向けてみましたが、残念ながら太陽が昇っていて外が明るすぎるからか、ほとんどわかりませんでした。
Gはどんどん私の身体に圧し掛かってきて、ググっとシートに押さえつけられていきます。ほっぺたが後方に引っ張られるのを感じました。ほっぺって、こんなに重かったのか。。。
「1G、地球の重力にようこそ」とニコルが読み上げたので、再度みんなで笑いました。もう十分重いですw
そこからは一気に加速度も大きくなり、宇宙船の振動も大きくなっていったので、私たちは無言になりました。私は、胸部が圧迫されるので、意識して腹式呼吸をするように心がけました。Gに耐え切れず、眼球表面を覆っている水分が、目から涙となって背中側に流れていきます。
間違いなく、私の人生の中でも指折りの危険な状態に晒されているのですが、アドレナリンが出まくっているせいか、それとも余りにも非現実的過ぎる状況だからか、不思議と怖いという感情は沸いてきません。どこかで、他人事のようにその非現実的な状況を楽しんでいる自分がいます。人類の科学技術に対する信頼が、Gに対抗するように私の背中を後ろから押してくれているようにも思います。
時間にしてどれくらい経ったのか、ほんの数分間だったのでしょうが、上がり続けた加速度表示が緩やかな減少に転じて、プラズマ状態から抜け出した宇宙船と地上との間の通信も回復しました。通信が途絶えていた5分ほどの間、地上からはこちらの状況を知る術はないので、通信が回復した瞬間、地上の関係者もホッと胸を撫でおろしているに違いありません。
着水までは、もうほんの7分程度です。
着水の約5分前になると、シートがぐるりと回転して、それまでの仰向けで天井を見上げているような姿勢から、頭を上にして普通に座っているような姿勢に移行しました。この姿勢の方が着水の衝撃に耐えやすいのでしょうか。少なくとも、着水後に緊急脱出が必要になるような状況では、この姿勢の方がシートから出やすいのは間違いありません。
いよいよ、最後の関門であるパラシュート展開が近づいてきました。
ソユーズの帰還では、パラシュートを展開してから10分くらいゆっくりと降りてくるのですが、ドラゴン宇宙船の場合はかなり低高度まで突っ込んできてからパラシュートを開きます。なので、パラシュート展開から着水までが本当にあっという間です。
ソユーズではパラシュート展開と共に、滝壺に放り込まれたような物凄い揺れが始まりますが、ドラゴンではどうでしょうか。
着水約3分半前、高度約4kmでまずはドローグシュートと呼ばれる小さなパラシュートを開きました。旅客機が普通巡航している高度が大体10kmなので、ドラゴンがいかにぎりぎりまで引き付けてパラシュートを開くか、お分かりいただけるかと思います。かなり気合を入れて身構えていましたが、揺れはそれほどでもありません。
着水約2分45秒前、高度約1.5kmでメインパラシュートが開きました。開いた瞬間から10秒程度でしょうか、さすがに大きく揺れましたが、それでも記憶の彼方に仕舞われているソユーズでの揺れ方と比較するとかなりマイルドな気がします。気のせいかもしれませんが(;^_^A 時の経過と共に、記憶が誇張されている可能性はあります。
飛行士によって異なるかもしれませんが、私の場合、(無事に帰って来れた)という安心感に包まれるのは、このパラシュート展開が正常に行われたタイミングです。ただ、ホッと安堵したのもつかの間、すぐに着水の時が迫っています。
1000、800、600、400m・・・までコマンダーのアンが高度計を読み上げたところで、着水に備えた衝撃防止姿勢を取り、そこから異様に長く感じられた数秒間のあと、バンッという衝撃と共に宇宙船は太平洋に着水しました。

宇宙からの帰還⑤
「着水」について、何の根拠もなく、ただイメージでソユーズのような着陸よりも柔らかそうだなと思っていましたが、実際は同じくらいの衝撃だったように思います。といっても、もはやソユーズでの出来事も10年前なので記憶の彼方ではありますが。
宇宙船の底面は平べったいので、海面にパーンと叩きつけられるとき、水がそこまで衝撃を吸収してくれるわけではなさそうです。人間の身体が耐えられる衝撃というのは上限があるでしょうから、機体やパラシュートの性能、着陸なのか着水なのかも、全てそこから逆算されて決まってきて、つまりどんな宇宙船であれ帰還時の衝撃というのは大差がないものなのかもしれません。
私は元パイロットとして、いつか日本の有人宇宙船が実現する日を夢見ていますが、どういう形態の帰還になるかによらず、それに搭乗する宇宙飛行士は同じような衝撃を経験するのでしょう。
着水の衝撃の思った以上の激しさ、それから無事に地球に帰還できたという安堵、様々な感情がない交ぜになって、クルー全員で喜びを共有しました。ここ10-20分間という短時間に起こった、本当にドラマティックな出来事に対して、感情が追いついてきていなかった感もあります。
前にも書きましたが、私がとても心配していたのは着水後の宇宙船の揺れでした。
中から外の様子はほとんど見えないので、実際にどれくらいの海況なのかはわかりませんが、体感では相当大きな波に揺られている気がします。あんまりキョロキョロしてると酔いそうな気がしたので、私はあえて心を空っぽにするよう努めてボーっとしていました。ホッペが重力に引っ張られて重いです。宇宙にいる間は、体液シフトの影響で顔がパンパンになっていたこともあり、皺もなくなって顔が若返っていましたが、もうすっかり老け込んだ顔に戻っただろうな、などと取り留めのないことが頭に浮かんできました。
実は、ここに至るまでに一つ大きなミスを個人的にやらかしていました。事前にフライトサージャンの先生と相談して、Fluid loadingを済ませて最後にシートに乗り込む前に、酔い止めの薬を飲むことにしていたのですが、うっかり忘れてしまっていたのでした。それに気づいたのは、与圧スーツのリークチェックが終わってしまったあとでした。そこから酔い止めを飲もうとして、もし無重力空間に薬やポケットの中身を散逸させてしまったらシートから出ないといけません。そのためにはシートベルトを外す必要があり、そうなるとせっかく実施したリークチェックも無効になってしまいます。酔い止めの飲み忘れに気づいたときは血の気が引きましたが、そういった色々なことを頭のなかで考え、やってしまったミスは仕方ないと腹を括ったのでした。
波に揺られていたのは25分ほどの時間でしたが、心を空っぽにする作戦が功を奏したのもあるでしょうし、重力環境に戻ってきて間もない体中のセンサーがまだ混乱していて揺れをしっかりと検知していないような感覚もあり、幸いにも吐き気を催すことはなく、私たちの宇宙船はクレーンで回収船の上に引き揚げられました。
ガタゴトと外で様々な作業が進む音がしていましたが、やがて宇宙船のサイドハッチが開かれ、実に5か月ぶりに自分たちクルー以外の人間の顔が見えました。着水からそこまでほんの35分程度の時間というのは驚きに値しますし、SpaceX社のこれまでの経験や日頃の準備・訓練の賜物と言えるでしょう。
シートの配置上、中央に座るアンとニコルから先に船外に運び出されていきました。次が私の番です。シートは宙に浮いたような位置なので、下手に起き上がると落下の危険性があるので、全てをSpaceXのスタッフに委ねて為すがままです。空いたアンの席にまず移されて、そこから2-3人がかりで担ぎ上げてもらって、サイドハッチの前まで移動させてもらいました。そこから板の上を滑って船外に出たら、周りの方に起き上がらせてもらって自分の足で立ちました。重心がどこにあるか全くわからずグラグラして倒れそうになりつつ、頭が信じられないくらい重いです。急激に押し寄せる重力の感覚に、頭が混乱して視界が極端に狭くなっているのを感じます。目の前の景色を見ているようで何も見えていないような、そんな感覚です。でも初めてのフライトのときにNASAの同期がアドバイスしてくれた、『このときの顔がずっと記録に残るから、どんなに気持ち悪くても笑え』という言葉通り、中継カメラの方に努めて笑顔で手を振りました。
今振り返っても、この回収船での出来事はすっかり記憶にもやがかかってしまっていて、細部を思い出すことは難しいです。それだけ体もいっぱいいっぱいだったのだろうなと思います。早いもので、それから45日間が過ぎ、リハビリのお陰で体もほぼ元通りになってすっかり日常のなかに戻っています。
長くなりましたが、宇宙からの帰還について、徒然に記してきました。人間の記憶はどんどん薄れてしまいますから、後年に自分が振り返るときのために、そしていつかこれを読んでくださった方々が宇宙へ飛び立つ日が来たときに、参考になると良いなと思います。読んでくださり、どうもありがとうございました。



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